セックス依存症には、カウンセリングが有効ですが、ここでは、じゃあ、なぜカウンセリングが有効なのか?というとところに触れてみたいと思います。
ソレア心理カウンセリングセンターの高間さんにお話を伺いました。
依存症というのは、衝動のコントロールができない状態ですが、ADHD(注意欠陥・多動性障害という発達障害のことです)などの人も同じようなコントロールのできなさがあります。ADHDの症状に"性欲の昂進"があるんです。
ですが、ADHDとセックス依存と同じかというと、そうではありません。では、どこが違うのかというと、その人の持つ「世界観」が決定的に違うのです。
世界観とは魂の話であり霊性の話でもあります。霊性と言っても、テレビでやっているような、何も霊が見えるとかの話ではありません。"その人の生きざま"ということです。
例えば、会社の付き合いで飲み会から風俗へ行くことになったとします。その際、霊的に発達している人は、女房が泣くからやめよう、と止めることができる。性欲を抑えられなくとも、風俗へ行くとか売春婦に連絡をするとか、そういった実際の行動に移さずにマスターベーションだけで止めることができるんです。
ここで1つの例として古典落語に『芝浜』という演目をご紹介しましょう。
仕事へも行かなかったアル中おやじが芝浜の浜辺で大金の入った財布を拾います。有頂天になり仲間と大酒を飲んだ翌日、二日酔いのおやじに、妻は酒代はどうするんだ!と詰め寄ります。アル中おやじは、財布の話をしますがそんな財布はどこにも見当たりません。実は、妻が財布を隠して、拾ったことを夢にしてしまうんです。以来、夫は酒を断ち、改心して働きだします。数年後、いっぱしの定店を構えるまでになった大みそかの夜、妻のウソはばれるのですが、妻の気持ちは夫へ伝わっていました。除夜の鐘を聞きながら酒でも飲もうと誘う妻に、夫はつぶやきます。「いや、止めとこう。夢になっちゃいけねえ」
このアル中おやじは妻のウソによって改心し霊的に成長したのです。だから、ここで酒を止めることができる。
止めるか止められないか。ここにはとても大きな世界観の差があるのです。ここを埋めていくというか、自分の世界観、つまり霊性を発達させるためにカウンセリングがあります。
つまり、なかなか止められない人というのは霊的に未発達だと言えます。
ちなみに、子どもは親以上の霊的な発達はできないようになっています。つまり親の因果が子に報い、という因果応報は霊的なことについては本当のことなのです。
これについては、『「家族神話」があなたをしばる(著者:斉藤学)』という本が参考になると思います。斉藤氏は依存症の専門医です。
親の霊性が未熟であれば、子どもも同じように未熟なのです。ですから子どもはそれを発達させていかなければ、親と同じような道を歩むだけになります。そこで悩んだ人がカウンセリングの門をたたくことになり、ご自身の霊性を向きあうことになるのです。
メンタルな部分は比較的すぐ良くなります。けれどスピリチュアルな(世界観)部分は一朝一夕では発達していきません。
セックス依存症の治療に妻は付き添うべきか?の記事で触れていますように、自分が自白し、長い道のりを足をひきずって歩いて行く、その覚悟がいります。
医者は主に、フィジカルとメンタルを扱いますが、カウンセラーはフィジカル、メンタル、スピリチュアル、この3つを扱うのです。スピリチュアルを扱っているから、相談者の世界観が変容し嗜癖(しへき)が止まるのです。
ですから、スピリチュアルを扱うことで、霊性を発達させ、自らを律することが出来るようになるために、カウンセリングが有効である、ということになります。
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