セックス依存症とは~風俗 夫とどう違う?~
セックス依存症という病気をご存知でしょうか?
セックス依存症というのは、ギャンブル依存症や
アルコール依存症と同じように、放置すると
身を持ち崩す可能性のある精神的な病気です。
Wikipedia(ウィキペディア)によれば、
『依存する対象は実際に相手のある性交渉だけでなく
自慰行為やポルノへの過度な耽溺や収集、
強迫的な売買春、乱交、露出や覗き行為、
性的ないたずら電話やインターネットを介した
アダルト・チャットなど全ての性的な活動が考えられる。
依存症患者は性的な興奮や刺激に溺れることが習慣化し、
徐々に自己コントロールを失う。
ギャンブル依存や買い物依存などと同じく
「行動(process)への依存」に分類される。』
という風に説明されています。
ここで、セックス依存症について書こうと思ったのは
沙々の掲示板に以下のような
ご投稿があったからです。
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私の夫はセックス依存症です。
この概念はまだ日本ではあまり広まっていないようですが、
私の住むアメリカでは アルコールやドラッグと似た
中毒症状として取り扱われており、自慰行為、
インターネット ポルノ、児童ポルノ、売春、風俗通いなどが
含まれます。
夫は8年ほど前に私の留守中に自宅で売春したのが最初、
次は去年 出張先のホテルで売春。
そして2ヶ月ほど前に立て続けに4回売春。
しかも最後はまた私の留守中に自宅での行為でした。
彼は去年 自分がセックス依存症であると認識し、
セラピストとのセッションを続け、12ステップという
依存症から抜け出す為の自助グループに参加していましたが
「もう大丈夫。自信ができた!」と行っていた矢先にこれです。
私は自宅で仕事をしているので
彼が自宅で行為に及んだことに特に深く傷ついています。
彼はまた一からやり直しと言ってセラピストと会っていますが、
私はこのままではダメだと思い、カップルカウンセリングの時に
彼に一ヶ月間リハビリ施設に入ってもらうことを要求しました。
こういう施設は国内に数カ所ありますが、
プロに囲まれた環境で ありとあらゆる心理療法と治療、
グループ療法など様々なプログラムを一日中行い、
家族を交えてのセッションも含まれます。
治癒するかどうかは本人次第ですが、
入居者はかなりの確率で立ち直って行くようです。
仕事は激務で そんな時間と莫大な費用を
夫がどうやって捻出するのか分かりませんが、
彼は行くことを承知して スケジュールを立て始めました。
「自分は落ちる所まで落ちた。
本気で依存症から抜け出したい。
こんな自分では生きて行けない。」と
本人が初めて感じたからだと思います。
その施設がどんな所でどれだけ効果があるのか
まだ全く分かりませんが、私の今の希望はそれだけです。
彼は子ども時代のトラウマを引きずっており、
それを深いレベルで癒さなければ変われないと思います。
それには週一回のセラピーなんかでは無理です。
私自身も今セラピーに通っていて、
壊れた自分を立て直していく作業中です。
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この方がおっしゃるように、確かにここ日本では、
セックス依存症という概念が知られていない、というか
一部の方以外には、ほとんどないに等しいです。
なので、あえて書こうと思いました。
プロゴルファーのタイガー・ウッズの不倫騒動の一件で、
彼がセックス依存症である旨、報道はなされたものの、
おそらくですが「へぇ~アメリカにはそんなモノがあるんだ~」
という日本人が多かったかと思います。
どんなに書籍が発売されていても、ほとんど話題にもなりません。
セックス依存症は、一説には、幼少の頃に
親の愛情を受けられなかった人に多く、
その気持ちの隙間を埋めるべく、人との深い関わりを
求めるがゆえの依存症であるとも言われています。
さらには、ご投稿下さったこの方のケースのように、
セックス依存症の患者が妻帯者であった場合、
家族側のケアが必要になるんですが、
ここ日本ではそういったものはほとんど皆無、
首都圏の本当に一部の医療機関と自助グループでしか
対応していない現実があります。
しかしながら、夫が風俗に通っている、という方の中に、
もしかしたら、夫がセックス依存症である場合が
あるかもしれません。
ただ、ここ日本では、それを見極めるのは
非常に困難です。
専門家も少なく、あまりにも認知度が低すぎます。
これは、セックス依存症が正式に病気として
"疾病及び関連保健問題の国際統計分類"において
認定されていないことも理由の一つかと思われます。
だから、日本ではセックス依存症はセックス中毒と
冷やかした感じで扱われることが多いことも事実ですし、
低俗でアホな男性に浮気や不倫の言い訳として
使われてしまうような現状にあります。